病院の日陰に陰キャは佇む

医者1桁年目の内科医が日々思った事を書いています。気づいたら結構毒吐いてるの注意

鉄のお話

陸上競技の女子学生に成績向上を狙って鉄剤を延々と静注していたというニュースが少し前に流れていたが全くもってふざけた話であり関係者全員臭い飯食ってこいと言いたいレベルである。炎天下の甲子園といいこの国はどれだけ10代の若者を食い物にすれば気が済むのか。鬼畜の所業だ。

と,怒り心頭なのだが話を戻そう。そもそもなぜ鉄が必要で体内でどう使われているのかという話をしたいと思う。
なお,さすがにマズいと判断したのか禁止する方向で働いているようである
news.livedoor.com


 

鉄の役割

鉄といえば貧血というワードが医療と関わりのない人でも連想されるぐらいに血液における鉄の役割は大きい。もちろんそれ以外にも鉄の役割は多義に渡る。
後述するが鉄(鉄イオン)単体での存在は生体内ではかなり危険なので何かしらと結合した形で存在する。例えば血液中の赤血球にはヘモグロビンという物質が含まれるがこれは鉄+ヘム+グロビンという物質の結合でできている。このヘモグロビンの存在により赤血球は酸素の潤沢な部位(肺)では酸素を吸着し酸素の少ない部位(各臓器や手足など)で放出する事ができる。他にも筋肉内にあるミオグロビン(これも酸素の貯蓄に関わる),鉄の運搬に関わるトランスフェリン,鉄を貯蓄するためのフェリチン,エネルギー産生に関わるシトクロムcなどに鉄は結合している。酸素の運搬を始めとして鉄の役割は多義に渡り生命維持に必要な元素である。


鉄の生体内での動き

鉄は消化管からの吸収が非常に悪い。ただし一方で排出もわずかである。
吸収は小腸から行われており毎日1-2mg程度が吸収される。フェロポーチンというタンパク質は吸収した鉄を血液中に放出する指令を出し,その結果鉄はトランスフェリンというタンパク質に結合し安全に運ばれる。フェロポーチンが無尽蔵にあると延々と吸収されるわけだが,鉄が増えてくるとヘプシジンという物質が産生されてフェロポーチンの分解に作用する。その結果血液中の鉄が増えなくなり鉄吸収は抑えられる。このように鉄吸収は制御されている。
一方で鉄の排出に関しては能動的な機能がなく皮膚や腸管粘膜が剥がれ落ちる時に同時に鉄が喪失するだけでありこれは吸収量とほぼ釣り合っている。

吸収した鉄は主に骨髄に運ばれて赤血球の産生に利用される。体内に鉄は3-4g程度存在し7割が赤血球中のヘモグロビンに利用されている。残りは筋肉での利用や肝臓,マクロファージに貯蓄されている。赤血球が老化して破壊されるとマクロファージが鉄を回収しその後再び分泌しトランスフェリンで運搬され再び利用される。前述の通り鉄は基本的に吸収排泄共に悪く,このようにリサイクルされながら利用されている。


鉄は有害?

と,上記のように鉄は生命維持に必要なのだが同時にかなりの危険物である。単体の鉄は活性酸素フリーラジカル)の生成に関わる(Fenton反応)

Fe2+ + H2O2 → Fe3+ + ・OH + OH-


この・OHはフリーラジカルの一種であるが,簡単に言えば細胞にダメージを与える物質である。鉄が多ければその分フリーラジカルの発生も増え臓器障害を引き起こす。実際にヘモクロマトーシスという鉄が溜まる病気があるが,肝臓や心臓に鉄が蓄積し臓器障害を引き起こすことが知られている。さらには鉄過剰により発癌が誘発される事も動物モデルでは示されている。

また細菌も生きるために鉄を必要としている。細菌を撒いた培地から鉄を取り除くと細菌の増殖が止まることは昔から知られており,人間の体内にある鉄を取り込むシステムも多数存在している。ただし,人間側も黙ってやられているわけではなく感染症等を契機に炎症が起こるとヘプシジンを産生するようになり血中の鉄が減るように仕組みができている。*1


静注鉄剤の危険性

体内の鉄が過剰になればまず消化管からの吸収が落ちてくるので経口鉄剤を内服している場合には過剰になることは少ない。一方で鉄剤を静注する場合はそのような吸収抑制は全く関係なく鉄過剰のリスクが常に存在する。臨床現場では鉄剤をパカパカ投与する人達もいるが正直鉄剤を静注する例は限定されるべきで,よっぽどの貧血があるとか鉄剤がどうしても内服できないなどの場合に限るべきである。また,その場合もキチンと鉄の必要量を計算すべきである。
よく用いられるのは中尾の式といって総投与鉄量(mg)={2.72(16-X)+17}*体重(kg) で計算される(Xは現在のHb値)。*2

前述の通り鉄は能動的な排泄機序がないため一旦鉄過剰になると鉄過剰状態が持続することになるためまず規定の上限量を計算し,血清フェリチン値やTIBC等を見ながら過剰にならないように投与するのだが今回ニュースになった状況を見るとこのような管理は恐らく全くされていなかったものと思われる。鉄過剰症の治療として,鉄を排出しやすくする鉄キレート剤というものが存在はするがそもそも鉄剤静注で鉄過剰にならなければ必要ない話であり鉄剤静注を依頼した陸上関係者とそれに迎合した医師は糾弾されるべきである。血液内科領域を見ている人間として本当に怒りがこみ上げてきて仕方がない。



参考
日本内科学会雑誌 第99巻 第 6 号 107-111
日本内科学会雑誌 第104 巻 7 号 1383-1388
日本細菌学会誌 51 (2): 523-547, 1996

*1:ただし,長期にわたると炎症による貧血が生じる

*2:この式では多過ぎるという指摘もある 臨床血液 1996 年 37 巻 2 号 p. 123-128